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2014年10月20日

.はじめに

.はじめに

「ストーカー」という言葉は何時頃から使われるようになったのか。何時の間にか事件のニュースなどで普通に使われている。何をストーカーというのか理解しやすいこともあるが、なかなか分からないこともある。いつも事件を振り返ればそれはストーカーでしたと結論付けることができるが、事件になるまではなかなか分からないもののようだ。

ストーカーの定義づけをうっかりやると馬鹿なことがおきる。三鷹の女子高生が殺害されたときのように、問題は目の前にあるのに形式(いい加減な警察が作った届け書~チェックリスト)を満足させられないからおざなりの対応で済まして被害者が目の前で殺害されてしまうという警察の失態をやらかす。

似たような概念に「虐め(いじめ)」がある。下手な定義づけと下手な管理手法が、実態を隠し問題を更に複雑かつ深刻にしてしまった。教師や社会の無能と無気力は虐めを放置することになった。これも児童相談所などの不作為の犯罪を放置している。

ストーカー

言葉がカタカナ。"stalk"~"stalking"~"stalker"。戦術用語。ゲームの世界でも使われるようだ。今はこの戦術(忍び寄る)うを使う犯罪全体に使われる。このような犯罪概念(犯罪理解)として輸入されたものだろうか。日本にも以前から「しのび」はあったが、犯罪概念としては「付回し」とか「逆恨みに基づく犯罪」とか「執念深い犯罪」とか近い概念の言葉はあった。それらを統一的によりクリアにカテゴライズさせるものとしてストーカーを使い始めている。ただ、本質はまだよくつかめていない。



ストーカーが事件になった段階では既に手遅れだ。ストーカー事件のニュースを見ても底から得られる手がかりは少ない。地震とか火山噴火と同じで、発生すると深刻だが、いつ何処でどのような形で発生するかは殆ど予測できない。理由は超簡単。人間にはまだ地球の内部構造を理解して適切に計測する能力が無いからだ。鯰(なまず)でも昆虫でも鳥類でもいいし、天気(雲や磁気など)の様子でもいいし、振動や地表の動きでもいいし、内部構造の理解と計測のための試行錯誤を続けている。人間は無能なもので川原で拾ってきた石に圧力をかけた時に何処でどのようにひびが入ってどのように破壊されるかすら分からない。ひびの始まりが見えて初めてここにひびが入るとやっているレベルだ。

ストーカーは地球の内部でなく心の内部を探ることになるが、分からなさの程度は似たようなものだ。ストレスをかければ心が壊れることは分かっていても、いつどのように壊れるかは行動を起こすまで分からないのだ。行動を起こしたら、既に心が壊れた後とも言えるので手遅れ。

警察に駆け込んだときは殆どの場合、手遅れだ。其れにも関わらず警察は様子を見たがる。予期できない事件は避けたい保身根性。いつ事件になるか分からないものを避けたいから。事件が起きてから犯人を追いかけるほうがらくだと思っている。見た目にも手柄になる。未然防止は誰も評価しない。

地震も同じ。家が壊れてから、税金で立て直せば感謝される。倒壊で何人の人が命を失ってもだ。しかし、その場所は危ないと叫んでも誰も喜ばない。一人の犠牲者も出していないのに感謝状はない。むしろ権利が侵害されたと被害者意識を持つ始末だ。愚かしい原発行政の立脚点も理解できる。税金を使うことが政治だと思っているからだ。目的と手段の取り違い。そのことで、利権という私的な目的には近づく。



<いろいろな疑問>

ストーカー事件とは何か?

ストーカーとは何か?

ストーカーになる人とならない人は何が違うのか?

ストーカーに遭う人と遭わない人とは何が違うのか?

どうすればストーカー被害に遭わずに済むか?

もしくは、どうすればストーカー被害に遭うのか?。



<目的>

今現在もストーカー被害の不安に怯えている人が居る。既に被害者か単なる懸念かさえも判断が付かないまま不安は募るばかりだ。

ストーカーあるいはストーカー事件を正しく理解して、ストーカー事件の当事者になることを回避する。

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